三次の奥田元宋美術館で水野美術館(長野市)からタイトルのように菱田春草を中心にサブタイトル―明治・日本画の前衛を駆ける―の作品をうまく解説付きで展覧されている。(2023年6月13日まで)
第一室で、橋本雅邦の初めて見る作品を4点も見ることが出来たことは収穫だった。
雅邦は天保6年(1835年)~明治41年(1908年)だから33歳頃に明治維新を迎えている。正に江戸で生まれ維新で大きく変わっていく世の中を肌で感じていたことでしょう。狩野派で教えを受け日本画の基礎は身に着けていた彼にとって、変わりゆく世に日本画も革新しなければという想いがあったのでしょう。こういう人がいたから菱田春草や横山大観、下村観山という画家が生まれたのでしょう。
第二室の西郷狐月の作品は殆んど見たことがなかった。先生(橋本雅邦)の娘さんと結婚し離婚し、38歳で死去。謎の多い人のようだ。横山大観と同じく美術学校第一期生で将来も嘱望されていたというのに残念なことだが、作品はそれなりに残っているので作品だけでも見ることが出来る。
菱田春草の絵は、どことなく優しい感じがする。没骨画、線描画にしても大観の絵とは違う。ひとくくりに朦朧体に挑戦したグループと言えども絵に絵には性格が出るものだ。また、そこが面白いところです。
今回の展覧会を見て理解したこと、冒頭の橋本雅邦コーナーに掲示されていた雅邦の言葉『各自独立の思想を発揮し、一人一家の法を立てよ!』という言葉を四天王の皆さんは実行されたのだと。
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